2018.03.13
東日本大震災から7年、そしてこれから
東日本大震災から7年
3月11日は
各地で祈りが捧げられました。
複雑な課題や、時間が経っても変わらない悲しみ、
しかし、
福島は力強く前進していると感じる面もたくさんあります。
3月11日は
各地で祈りが捧げられました。
複雑な課題や、時間が経っても変わらない悲しみ、
しかし、
福島は力強く前進していると感じる面もたくさんあります。
3月11日の報道特番「私たちの歩む道~東日本大震災から7年~」で、
私は取材をさせていただいた富岡町の釣り船「長栄丸」の船長、
石井宏和さんの思いをお伝えしました。
石井さんは津波で娘さんを亡くされました。
しかし福島の海を次の世代に繋ぐことが使命だと、
釣り船の仕事をいわきで再開し、
多くの人に福島の海の豊かさを伝える仕事をしています。
私は取材をさせていただいた富岡町の釣り船「長栄丸」の船長、
石井宏和さんの思いをお伝えしました。
石井さんは津波で娘さんを亡くされました。
しかし福島の海を次の世代に繋ぐことが使命だと、
釣り船の仕事をいわきで再開し、
多くの人に福島の海の豊かさを伝える仕事をしています。
今回私は石井さんの操縦する「長栄丸」に乗せていただきました。
釣りをするのは初めてで、
魚が釣れるか、ということもそうですが、
朝起きられるか
(午前5時出港のためには午前3時に家を出なければ)
船酔いしないか
(気分が悪くなっても数時間は港に帰ることができません)・・・
(船に携わる方たちからしたら、情けない心配ですね)
いろいろな意味でドキドキでした。
釣りをするのは初めてで、
魚が釣れるか、ということもそうですが、
朝起きられるか
(午前5時出港のためには午前3時に家を出なければ)
船酔いしないか
(気分が悪くなっても数時間は港に帰ることができません)・・・
(船に携わる方たちからしたら、情けない心配ですね)
いろいろな意味でドキドキでした。
長栄丸の前で、石井さん(左)とアシスタントのヒデキくん |
しかし、いったん船に乗って沖に出ると、
プラネタリウムのように360度広がる星空や、
徐々に東の空が朝焼けに染まっていく景色が息を呑むほど美しく、
眠気や不安感は一気に吹き飛びました。
プラネタリウムのように360度広がる星空や、
徐々に東の空が朝焼けに染まっていく景色が息を呑むほど美しく、
眠気や不安感は一気に吹き飛びました。
船の上から見た朝日は人生で一番、美しかったです |
釣りをするのは沖合30キロ。
周りのベテランの方々に手取り足取り教えていただいたおかげで、
一投目から大当たり!
どんどん釣れて大興奮でした!!!
船に乗っていると、
見渡す限りの海の広さ、
水深100メートル以上という深さ(これでも海の中では浅い方ということですが)
そして見えないけれど、濃紺の海面の下には無数の魚が泳ぎまわっていること、
文字にすれば当たり前のようですが、ひとつひとつが神秘的で感動しました。
周りのベテランの方々に手取り足取り教えていただいたおかげで、
一投目から大当たり!
どんどん釣れて大興奮でした!!!
船に乗っていると、
見渡す限りの海の広さ、
水深100メートル以上という深さ(これでも海の中では浅い方ということですが)
そして見えないけれど、濃紺の海面の下には無数の魚が泳ぎまわっていること、
文字にすれば当たり前のようですが、ひとつひとつが神秘的で感動しました。
大漁!そして揺れる船の上でもプロ根性のカメラマン☆ |
さて、結果はというと・・・メバル20匹とマダラとスケソウダラで
クーラーボックスがいっぱいに!
魚屋さんで捌いていただき、
半分は差し上げて、
残りは会社に持ち帰り、刺身で食べたり、スタッフに配ったりました。
新鮮なお刺身もシンプルに煮付けにして食べたものもおいしいかったです。
そしてみんなに喜んでもらえたのも嬉しかったです。
福島の魚介類は、厳しい基準を設けた放射性物質検査が継続的に行われ、
対象の魚は2年間すべて基準をクリア。
数字的に「安全」が証明されています。
そんな今でも、風評が残り福島の魚介類の販売が中止されるニュースがあることに、
胸が痛みます。
「安心」して、おいしい福島の魚を味わってください、と
日本中、世界中の人に胸を張って伝えたい。
そして石井さんのように、海と正面から向き合い、
福島の海を良くしよう、
未来に繋げていこう、と努力されている方々を
これからも応援しています。
クーラーボックスがいっぱいに!
魚屋さんで捌いていただき、
半分は差し上げて、
残りは会社に持ち帰り、刺身で食べたり、スタッフに配ったりました。
新鮮なお刺身もシンプルに煮付けにして食べたものもおいしいかったです。
そしてみんなに喜んでもらえたのも嬉しかったです。
福島の魚介類は、厳しい基準を設けた放射性物質検査が継続的に行われ、
対象の魚は2年間すべて基準をクリア。
数字的に「安全」が証明されています。
そんな今でも、風評が残り福島の魚介類の販売が中止されるニュースがあることに、
胸が痛みます。
「安心」して、おいしい福島の魚を味わってください、と
日本中、世界中の人に胸を張って伝えたい。
そして石井さんのように、海と正面から向き合い、
福島の海を良くしよう、
未来に繋げていこう、と努力されている方々を
これからも応援しています。
石井さんは復旧工事が整い次第、富岡の港から船を出す、
そのことに意味があるとおっしゃっていました。
その富岡町には、私も特別なご縁を感じています。
入社一年目、初めて訪れた2013年の冬、
たまたま家の様子を見に来ていた駅前の魚屋さんの店主と出会い、
店の中を見せていただいたことがきっかけでした。
白壁には津波の跡が残り、時が止まったまま。
しかし、それから一年、また一年、
訪れるたびにその姿はどんどんと変わっていきました。
震災の被害がそのままになっていた駅は、新しい駅舎になり、
去年からは電車が通るように。
町の各地に高く積み上げられていた除染で出た汚染土などを入れた黒い袋も、かなり数が減りました。
風景の変化だけでなく、話を伺った方々からたくさんのことを学びました。
駅前で商店を営んでいた方は、避難先での仮設の店舗を経て、
再び町を支えるものをと駅前にホテルを開き、町の復興を見守っています。
食堂で温かいご飯をふるまい、復興の活力を作る方、
将来は町に戻って子供に「夜ノ森の桜」を見せたいという夫婦、
町を離れても、避難先で富岡を再現したミュージアムを作り故郷を思い続けている方、
生活は違っても
町を愛する気持ちと復興を願う気持ちは同じなんですね。
辛抱強くて、前向き、
そんな皆さんを尊敬しています。
そのことに意味があるとおっしゃっていました。
その富岡町には、私も特別なご縁を感じています。
入社一年目、初めて訪れた2013年の冬、
たまたま家の様子を見に来ていた駅前の魚屋さんの店主と出会い、
店の中を見せていただいたことがきっかけでした。
白壁には津波の跡が残り、時が止まったまま。
しかし、それから一年、また一年、
訪れるたびにその姿はどんどんと変わっていきました。
震災の被害がそのままになっていた駅は、新しい駅舎になり、
去年からは電車が通るように。
町の各地に高く積み上げられていた除染で出た汚染土などを入れた黒い袋も、かなり数が減りました。
風景の変化だけでなく、話を伺った方々からたくさんのことを学びました。
駅前で商店を営んでいた方は、避難先での仮設の店舗を経て、
再び町を支えるものをと駅前にホテルを開き、町の復興を見守っています。
食堂で温かいご飯をふるまい、復興の活力を作る方、
将来は町に戻って子供に「夜ノ森の桜」を見せたいという夫婦、
町を離れても、避難先で富岡を再現したミュージアムを作り故郷を思い続けている方、
生活は違っても
町を愛する気持ちと復興を願う気持ちは同じなんですね。
辛抱強くて、前向き、
そんな皆さんを尊敬しています。
7年から8年目へ、
また一つずつ前に進めますように。
出会った方々に感謝して、
復興を願っています。
また一つずつ前に進めますように。
出会った方々に感謝して、
復興を願っています。
富岡駅 2014年3月、14年7月、15年2月、17年10月。現在は常磐線が走っています。慰霊碑は町内の公園に移されたということです。 |
入社一年目からお世話になっている富岡駅前で魚屋をされていた渡辺さんと奥様。隣町で料理のお仕事を最近再び始められました! |
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